今日庵 とは、
京都市上京区堀川寺之内を西に行き一筋目(小川通り)を北に上がった東側にある
裏千家の代表的な
茶室 茶室
又隠の南西にあり 梅の井の南に位置する。
重要文化財 である。
千利休の孫にあたる
宗旦が、表千家を江岑宗左(こうしんそうさ)、に譲り
仙叟宗室(せんそうそうしつ)とともに、隠居したのが裏千家で、
その裏千家の代表的な
茶室が、
今日庵 である。
今日庵 は、
宗旦の隠居した屋敷の一部にある。
内部は床なし(
壁床)の
一畳台目(
向板を入れて二畳)
だが、炉は
向切りで、
向板に
中柱(辛夷丸太)をたてて、袖壁を下まで付けて、
向板が、床の換りの役割も兼ねられるようになっている。
そのため
中柱 に、花入釘が、打たれている。
南に
躙口があり、
客人は、南側から
躙口を入ると
正面の左側に壁床があり
右に花灯口がある。
西の壁に片引きの障子窓があり、
東側に、
点前座がある
点前座の後ろの壁に洞庫(内部は、棚を吊ってスノコを敷いた
水屋(水屋洞庫))があり
右上に小さな
障子あある。
客人は
点前座 を向いて右にこぶしの
中柱と袖壁があり
袖壁は、下まで土が塗ってある。
さらに、その袖壁の向こうに
向板があり
亭主から見ると、
向板の向こうに、下に小さな
風炉先窓 と
その上にこの
今日庵で、一番大きな障子窓がある。
洞庫は、すのこの流しの押入れ式の水屋洞庫で、
露地 側は、引違戸が、入っている。
天井は竹垂木 竹小舞の化粧屋根野地天井である。
創建は1839年ごろである。 (文献によっては、正保五年(1648)にできたとされるものもある)
宗旦は、
一畳台目に
水屋も床もこの
今日庵 に組み込むことを試みたとされる。
konnnitiannコンニチアン
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京都 京町家改修用語集 用語、専門語の解説、説明
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