九條邸跡とは、
九条家は、五摂家の灯音津で、平安後期以降多くの人が調停の重要色である摂政や関白につきました。
その娘の多くも天皇妃となり、大正天皇の皇后節子もその一人です。
江戸末期、米総領事ハリスの通商条約締結要請に対し徳川幕府は了解する考えでしたが、朝廷の孝明天皇は反対でした。折しも京都市内では、幕府と朝廷との酔うような交渉が行われ、時の関白九條尚忠(くじょうひさただ)の邸もその舞台の一つとなりました。
広大だった屋敷も、今では池の畔の茶室の
拾翠亭と、九條邸の鎮守だった
厳島神社が中島にのこるばかりです。
(2013年7月15日 現地立て看板より)
立て看板は、
池(
九條池)にかかる橋の北側にあります。

kujyouteiatoクジョウテイアト
■
京都 京町家改修用語集 用語、専門語の解説、説明
(古民家 京町家再生 木造建築伝統工法 社寺仏閣 和室造作 修理修繕補修改修 一般木造用語集)杉板くん☆の日記 (杉板君 杉板クン すぎいたくん スギイタクン)
木造住宅と京町家 by 京都 アラキ工務店 PR