密庵 とは、
小堀遠州 の作意の
茶室 である。
京都の大徳寺塔頭の龍光院書院の中にある四畳半台目の
茶室 である。 公開は、されていない。
寄棟造り(
寄棟屋根)、
桟瓦葺き
四畳半に床・棚・付書院・
点前座 をつけた大きさで、
床柱や、落し掛け(
落掛) などは、四角いものが、ほどこされ、縁の
障子が明るく開放的である。
襖 も
障子も黒縁で、
さらに、書院造の、代表的な
長押まである
長押の下は、貼り付け壁や襖絵
台目畳の点前座で、
中柱 に杉の中杢板・
落ち天井貼り付け壁 台子の置けない点前座。
その南の床の間は、特に密庵床と呼ばれ、
中国南宋時代の禅僧密庵咸傑の墨蹟をかけるのに最適なことからそう呼ばれている。
北側の腰障子は、七宝繋ぎ紋を雲母摺りにした唐紙を貼り赤溜塗の舞良桟である。
棚は、幕板・松皮菱・木瓜形・七宝繋ぎの文様
西面の棚は、地袋・天袋・違棚がつく 小襖の絵は、松花堂昭乗による。
北の床は、黒塗りの床框で、張り付け壁
床柱 は、手斧目の
あて丸太
。
小堀遠州の創意工夫が随所にうかがえる
国宝の
茶室 である。
龍光院書院内に
密庵 はあるが、龍光院書院は、
床付の10畳、8畳、6畳、4畳半、
広縁、縁で、構成されている。
「茶湯秘抄(ちゃのゆひしょう)」巻四や、
「松屋会記」(寛永18年(1641))にきされているが、
もともとは、
北側の腰掛障子が、壁で、
火灯口の給仕口と方立口の
茶道口が、設けられていた。
今の密庵床は書院で、
西南とL型に縁が回っていたので、
今の南の襖は、腰障子であったと考えられている。
現在の形には、慶安2年(1649)ごろになった。
国宝 の
茶室 としては、大山崎の
待庵、犬山の
如庵とこの大徳寺の
密庵 である。
みったんmittutannミッタンミツタンみつたん密庵席みったんせき
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