応仁の乱勃発地とは、上御陵神社の西側の鳥居の南側の灯篭の横に、下の写真の石碑がある。
実際には当時は、もっと敷地が大きく森になっていた。
文正2年1467年1月畠山家の家督争いが起こり、山名宗全(やまなそうぜん)側の畠山義就(はたけやまよしなり)と細川勝元(ほそかわかつもと)側の畠山政長(はたけやままさなが)とが、対立。
宗全が、足利義政将軍に義就を後継者に認めさせた。それで、政長は、京から追放されることに我慢できず自宅の春日万里小路(かすがまでのこうじ)に火を放ち上御陵神社に陣をはて応仁の乱は勃発した。
その年の3月5日に応仁に改元された。
これから、11年にわたる戦いで、京の都はほぼ全域が 焼け野原になり、戦いは、地方にも及んだ。
オウニンノランボッパツチouninnnorannbottpatuti
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京都 京町家改修用語集 用語、専門語の解説、説明
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